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常滑市テニス協会
協会概要
<沿革>
昭和30年代後半、鬼崎中学に硬式テニスクラブができましたが、それは一時的なものでした。 高校のクラブとしては、早くから常滑高校に硬式テニス部があり、そのテニス部OBを中心にテニスクラブが結成され、盛んに活動していました。活動の場は中郷グラウンドの一角にあった2面のテニスコートや各事業所、高校のコートなどを利用していました。 昭和52年、常滑市の大曽公園内に待望の常滑庭球場が新設されました。このコートは当時としては新しいハードコートタイプでコート整備の手間も掛からない利用しやすいものでした。当初、コート数は4面でしたが、昭和53年にナイター設備、同55年には2面が増設され、6面を持つ常滑市におけるテニスの拠点施設となりました。 大曽公園にテニスコートができたのを契機に体協テニス部の再編成の動きが高まり、昭和56年3月、現在の体協テニス部の役員体制の原形が整うこととなりました。 その後、テニスブームが到来したこともあり、市民大会への参加者も増え続け、シングルスの大会は多いときは120人を超える程になりました。 一方、昭和60年代になるとテニスを始めたい人が増えるなど社会的な要請もあり、体協テニス部が主催して、初心者テニス教室を開催し始め、現時点も途切れず継続しています。
<活動内容>
常滑市体協テニス部の主な活動は、第一に市民大会を企画し、開催することです。年間5大会を開催しており、その内容は多彩で、男女別シングルス、ダブルス、団体戦、混合ダブルス、そして、常滑市以外の知多地域の市町からも選手を迎えるオープンテニストーナメントなどがあります。 次に、体協テニス部主催で、毎年テニス教室を開催して、市民のテニス人口の底上げを図っています。 昔から、常滑市における地域性も相まって女性プレイヤーが少なく、今後は女性プレイヤーの育成に努めていくことが常滑市体協テニス部の課題であると言えるでしょう。
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